ぶらっくじぇみに 〜炎に沈む夢〜
「…話しておきたいことがある」
突然おじいさんがそう切り出したのは、誰かと話していた『1ヵ月後』の前夜。
「私は君達の体に手を加えた。ロゼの腕や脚の力を強くしたり、ドルチェの脳を活性化させたのは私だ」
最初、彼の言うことが理解できなかった。それでも、自分たちが何かされたのだと、そのときようやく気付いた。
「今は、君達自身に全てを話すことは出来ないが、少なくともここにいて、君達にとっていいことはない」
「どういうこと?」
「君達だけでも逃げてほしい。間もなくここへ、ある男が現れるはずだ。彼についていけ」
「ねえ、答になってないわ。もっとちゃんとした説明…」
―侵入者だ!―
―くそっ、傭兵だと!?どこの回し者だ!!―
―…エチュード!?バカなッ、アイツは確かに…うぁぁッ!!―
―東棟からの連絡が途絶えた!速い!―
「…来たようだ」
傭兵が来たのに、落ち着き払っていたおじいさんは、その時既に覚悟を決めていたんだと思う。
「来た、って…!?おじいさんは!?」
「そうよ、このままだと殺されるわ!」
「…もう遅いよ。侵入された時点で、もう私達に逃げ場はない」
言い終わった直後に、『がたん』と扉の奥から音がした。
「…来たか」
「ッ!おじいさんを殺さないで!!」
現れたのは、成人直前の男の人だった。とっさにロゼが、『彼』に飛びかかる。
「ロゼ、やめろ!」
「………」
おじいさんの静止も聞かずに蹴りを入れようとしたけど、『彼』は微動だにせず、ただ持っていた杖でその蹴りを弾いた。
「…っ!?」
「抵抗するな。ここで時間を食えばおまえ達も巻き添えになる」
それだけ言うと、『彼』はおじいさんと話し始めた。
「…あなたが依頼主か」
「ああ、そうだ。…もう準備は済んだのか?」
「そこの2人を施設の外へ連れ出せば、1つめの依頼は達成だ」
「…世話をかける」
「だがいいのか?被検体の中には、まだ自我を保っている者もいるだろう」
「生き延びたとしても、既に異形だ。それに寿命も短い」
「…気は進まないが、仕方ないか」
『彼』はそこで、腕の時計に目をやった。
「あと30分だ。…本当にいいんだな?」
「頼む」
それだけ言うと、おじいさんはこっちに向き直った。
「彼についていって外に出るんだ。詳しい話は後で聞くといい」
「そんなっ!?おじいさんは!」
「私はここに残る。…おまえ達や、今まで死なせてきた子供達への、せめてもの償いに」
「ダメっ!おじいさんも一緒に…」
「行くんだ、ロゼ。おまえ達には、せめて真っ当な人として生きてほしい」
「いやっ!一緒じゃないなら、ワタシもここに残る!」
「……」
その時は珍しく、ロゼが感情的になっていた。
「…どうする?」
「仕方あるまい」
おじいさんが一言答えた直後、『彼』が動いて、ロゼが倒れた。認識したなかで、理解できたのはそれだけ。
「もう一度言う、抵抗するな。戦うことを知らないおまえ達では、俺は倒せない」
ソレを見て、僕もかっとなって魔法を唱える。
自分の掌から、相手の足元から、背中から、それこそ四方八方から水柱を立たせるために。
ただの水柱じゃない。いわゆるウォータージェットのように、噴射スピードを高めたものだ。
「…なるほど。攻撃範囲の広さが売りだったものをあえて集束し、高い威力と弾速を引き出す」
魔法を放つ直前に、いきなり『彼』は呟いた。僕はそのまま、その言葉を無視して撃ち出した。
「…ブルーカスケード!!」
僕が設定した軌道に沿って、水の矢が『彼』へと伸びていく。秒速500m以上もの速さのソレは避けられない。
「だが」
…『彼』に避ける暇はなかった。なかったはずだった。事実、『彼』は僕の魔法を避けていない。
「…エチュード…まさかここまでの力を持つとはな」
「…光と愛を覗く13の属性は、すべからく闇を不得手とする。何らかの要因で相性をカバーできない限り、相殺もままならない」
「そんな…!?」
「…確かに、魔法の扱い方はうまいな。だがいかんせん、俺とおまえとの間には、魔力そのものの大小に差がありすぎる」
『彼』…エチュードは、半透明の黒い立方体で自らを覆っていた。
それが闇の魔法『ヘルダイス』だと知ったのは、もっとずっと後の話。
「最後だ、抵抗するな」
「……」
だけどロゼは、エチュードをにらみつけた。
「…力に訴えるしかない、か。…悪く思うなよ、2人とも」
気付けば、僕は建物から少し離れた場所で倒れていた。すぐ近くで、暴れるロゼをエチュードが押さえている。
「離してッ!おじいさんが…!」
「今引き返してももう間に合わない、無駄死にするだけだ!」
「それでもいいッ!離し…ッ!!」
彼の腕の中でもがいていたロゼが、突然動くのを止めた。
「それ以上暴れるな。おまえのその力に、体が対応し切れていないんだ」
「……」
「彼が言っていただろう?『生きてほしい』と。ここで死んでは、彼を裏切るも等しい」
「……」
何がなんだかわからなくなっているのか、ロゼはそのまま動かなかった。
「人は生きていく中で、何かを背負ったり降ろしたりするものだ。
…彼が何を思ったのかは知らない。だが自分だけで、あの世まで背負っていきたい何かがあったんだろう」
「…あなたが背負っているものは」
「?」
「あなたは何を背負っているんですか」
無意識に、尋ね返していた。
「さあ、な」
「…」
「大事なことは、何を背負っているかじゃない。背負ったものをどうするか…だ。
最後まで背負うのか、それとも何処かで降ろすのか。
いずれおまえ達にも…それを考えるべき時が来る」
急に、何かが爆ぜた。
「…時間、だ」
「いや…いやぁぁ…!!」
建物が炎に包まれ、あっという間に崩れ落ちていった。声をあげる時間なんて、僕にはなかった。
「……」
「…ぁ…ぁ……」
僕はただ呆然と立ち尽くし、ロゼは正気を失ったように膝を突いて震え。エチュードは何も言わず、ただ僕らの傍に立っていた。
そのうち、ロゼが倒れた。人の死に立ち会うショックが強すぎたのだと思う。
「…何故、黙ってるんですか」
「俺にだって言葉に詰まったり、声をかけるべきか迷うこともある」
「…そうやって、自分が悪人じゃないみたいなことを…!」
「善悪など、所詮は個人の主観だ。俺は自分が善人だとは思っていないが、だが悪人でもない」
「さっきからわけのわからないことばかり!」
「すぐにわかるはずがない。普通なら善悪の概念についてなど、深く考えもしないからな」
「………」
エチュードの言葉は、まったく根拠のないハッタリにも、理詰めの正論にも聞こえた。
言い返す言葉を知らなかった当時の僕は、黙るしかなかった。
「言ってしまえば、人間などそんなものだ。普段は個人の主観で物事を判断する。
町や国など大規模な出来事に対しては、多数の意見を是として、それを客観と称している。
だがそれさえも、その実は主観の集合体であり、発言力の強い主観が客観になる。
…人は所詮、自らの主観でしか物事を見ることができない」
「なら、何が正しいんですか?自分以外のすべてが誤りですか?」
「違うな。…正しい、間違っている…それも人の主観であり、定義できない事象だ。
確かに、人は自分1人分の視点しか持たない。だが、見たものについて考える頭がある。
ソレは自分にとって共感できるか否か、信じるに値するものか。…後は、自分で考えろ」
「それでも、おじいさんを殺したあなたは、僕にとって悪です」
「……」
その時、彼がまるで『わかればそれでいい』とでも言うように微笑んだのが、強く印象に残っている。