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四四十六茶小説



精霊流し。



八月上旬に行われる、使者の魂をあの世へ送る行事のこと。















「………」
いつもより早く、目が覚めて。

窓から覗く空は、まだ真っ暗。

時計を見れば、短針は左上。長針は真下。

ベッドにもぐってから、まだ数時間と経っていない。



寝直そうかとも思ったが、何故か体は、眠ることを頑なに拒んだ。



「何だっていうのさ」
仕方なしに普段着ている服に着替え、絵でも描こうとスケッチブック…をとろうとして、はたと気付く。

「…学校に置いてきたんだっけ」
外の真っ暗闇を見て一瞬迷ったが、次には扉は開き、足音は遠ざかっていった。















今はいわゆる『夏休み』の期間であり、校舎は生徒に解放されている。
夜遅くでも、宿直の先生とうまく会えれば中に入れてもらえた。

「鍵はちゃんと返しに来ること。いいな?」
「はい」

男の先生に鍵を借り、いつも自分達がホームルームに使っている教室へ足を運ぶ。
「せっかくここまで来ちゃったんだし…窓の外の風景でも描こうかな」
教室の扉の鍵穴に、鍵を差し込んで、回す。かちゃりという音。鍵を抜き、扉に手をかける。



「…、っ?」
鍵が閉まっていた。



「…閉め忘れた?そんなわけないよ。昨日、最後にここを出たのはボクなんだし」
自ら口に出した可能性を、即座に彼自身が打ち消した。

彼は昨日もここに来た。スケッチに没頭するあまり、気付けば日は沈み、慌てて帰ったという按配だ。
細かいことは案外ちゃんと覚えているもので、彼には確かに、鍵をかけて職員室に返してきた記憶があった。

「誰かいるのかな…?」
もう一度、教室の扉の鍵穴に、鍵を差し込んで、回す。かちゃりという音。鍵を抜き、扉に手をかける。



扉は、静かに開いた。









はたして、『誰か』はそこにいた。
窓際の席に座り、見覚えのあるスケッチブックを開き、そこにじっと目を落とす。
月明かりに照らされるその姿は、その横顔は。



神秘的で、儚くて。

だけど、優しくて、美しい。






そんな『彼女』の姿を、彼は知っていた。















「…あの…っ!」
「ぇ…?」
思わず、声をかけていた。女性は弾かれるように顔を上げ、少年を見やる。
「………」
「……どう、したの?」
互いにぎくしゃくした声でのやりとり。



「そのスケッチブック、ボクのなんです。…返してくれますか?」
ともすれば喉につかえて止まってしまいそうな声を、なかば無理やりに少年は押し出す。

「…そう、だったの。ゴメンなさいね、勝手に見ちゃって」
一瞬間が空いて、女性は苦笑いしながら、スケッチブックを静かに閉じた。
少年は静かに女性の隣へ歩み寄り、女性は隣の少年にスケッチブックを差し出した。






「絵を描くのが、好きなの?」
不意に、女性から声がかかる。
「はい。彫刻とかも、たまに」
少しゆっくり、少年は返事をした。

「………」
「………」
しばらく、静寂。

「将来は、やっぱり芸術家になるの?」
また質問。
「将来の何も、もう芸術家です」
また答える。



「…ぷ、くすくす…っ」
「ぁー、何ですかソレー」

少年の口調がおかしかったのか、女性はふいに笑った。

「ふふっ、ごめんなさい。どうしてかしらね、キミの拗ねてるみたいな口ぶりが可愛くて」
「っ。可愛いとか、心外だなぁ」
「だから、さっきから謝ってるのに…ふふっ」
少年はむくれてみせる。逆効果だったか、女性はますます笑いが止まらなくなった様子だ。



その笑い方を、少年は知っていた。
「………」
知っていたから、笑われているのに、止めろと、言えなかった。



あるいは、言いたくなかったのかもしれない。









「…ふぅ。ホントにごめんなさいね、大笑いしちゃって」
「…もういいです」
まだ余韻が残っている女性に対し、少年は仏頂面をもって返す。



「…ちょっと、いいかな」
「何ですか?」
また、唐突に女性は少年に声をかけた。
「私の絵を、そのスケッチブックに描いてくれるかしら?」
「ぇ」
女性の顔を見上げると、彼女は心持ち真剣な眼差しを少年に向けてきていた。

笑顔の中のその眼差しもまた、彼の記憶には同じものがあって。

「…わかりました」

つい、そんな言葉が口をついて出たのは、多分何となく。






窓を背に、持って来た椅子に女性は腰掛ける。
少し離れた場所に、少年はスケッチブックと鉛筆を手に、女性と向き合う。

「ずいぶん、手馴れているのね」
女性から声がかかる。
「あなたこそ、モデルになるのに慣れているように見えます」
少年も、手を休めないまま女性に声をかける。

「ずっと前、男の子に絵を教えるときに、よくモデルになっていたから」
「……そうなんですか」
女性の言葉に、一瞬だけ手が震える。返事をするにも、精一杯だった。
「………」
女性はそれきり黙ってしまった。彼女に目を向けても、彼女は微笑を湛えるだけ。















「…できた」
手を止め、絵と女性とを何度も見比べ、少年は終わりを告げた。
「………」
少年から絵を受け取った女性は、その絵を眺めながら、満足げな笑みを浮かべた。
「よくできましたっ」
「またそんなコト言うー!」
直感的にからかわれていると気付き、思わず口に出していた。






「…そろそろ、夜明けかな」
少年は何となしに時計を見上げる。時間は夜明け前だと、時計は主張している。
「…そうね」
さっきの椅子に座ったまま、女性は窓の外の空を見上げている。

「…ねえ、芸術家くん」
「?」
女性に呼ばれて、少年は振り向く。









「…っ!?」

「そろそろ、行かなきゃいけないみたい」

「行くって、…どこへ」

「………」

女性の体は、半透明だった。



「芸術家くん。キミの名前…教えてくれる?」
「………」
話している間にも、姿は揺らいで消えてゆく。
「お願い…教えて。…でないと、私…ずっと後悔しそうだから」
窓の外から視線を移した先は、少年の目。女性の目は、切なげに細められている。



「ボクは…」



ずっと昔の、少年の記憶が呼び起こされる。















記憶の中の女性と



目の前で消えてしまおうとしている女性は






間違いなく、同じヒトだった















「ボクは、シードル。シードル・レインボウ」



「シードル」
心に深く刻もうとするかのように、女性はゆっくりと、その言葉を口に出す。

「そう。シードル」
「……シードル…」






窓から、太陽の光が差し込んだ。















――ありがとう シードル――















「ッ!!」
窓から差し込む朝日に、少年は飛び起きた。

「…?」

そこは、ベッドにもぐりこんだときと同じ、寮の部屋。
着ているのは寝巻きだったし、着ていたはずの普段着は、タンスの中からは減っていない。

「夢…だったのかな…」



しばらくぼんやりしていると、目覚まし時計がけたたましく鳴り響いた。









「スケッチブック…!」
朝食を終えるなり、シードルは学校へ走っていた。



――私の絵を、そのスケッチブックに描いてくれるかしら?――



――よくできましたっ――



「アレを見れば、夢だったかどうかわかる…きっと」






廊下を走り、階段を駆け上がり、教室の前で急に止まる。

「…はぁ、はぁ…ッ」
息切れするほど、彼は急いでいた。焦っているのかもしれない。



だけど。





それだけ、少しでも早く、知りたかった









少しばかり息が整うのを待って、彼は扉を開けた。















はたして、『誰か』はそこにいた。
窓際の席に座り、見覚えのあるスケッチブックを開き、そこにじっと目を落とす。






「…先生?」

「…ぁ」
声をかけると、女性は弾かれるように顔を上げ、少年を見やる。
「………」
感じたのは、軽いデジャヴ。
「……どうしたの、シードル。そんなに息を切らせたりして」
「………」
そこにいたのは、あの女性ではなかった。



「そのスケッチブック」
ともすれば喉につかえて止まってしまいそうな声を、なかば無理やりに少年は押し出す。

「…ああ、コレ?教室を覗いてみたら、そこの机においてあったから、つい」
一瞬間が空いて、女性は苦笑いしながら、スケッチブックを静かに閉じた。
女性はシードルに歩み寄り、スケッチブックを差し出した。






「この女の人の絵、綺麗だから見入っちゃった」



「…ぇ」



ほら、コレ。女性はスケッチブックを開いて、あるページを示した。









「………」
「…ええっと…?」
呆然と開いたページを見つめ始めたシードル。それを見て、女性は困惑気味な表情を作る。

「…ママの絵…なんです」
「シードルのお母さん?…でも」
女性も、シードルの母親の話は知っていた。

シードルを山小屋に残し、吹雪の中、助けを呼びに行ったきり行方不明。おそらく亡くなっている、と。

「…昨日、いたんです。ココに」
「……?」
女性はしばらく考え込んでいたが、不意に『あぁ』と声を発する。

「なるほどね」
「…先生?」



「今日、何の期間だったかわかる?八月の上旬」
「……ぁ」









「お盆休み…」









「ちゃんと、送ってあげるんだぞ?」
「…はい」















その日の夜









精霊流しの小船が一隻、ぽつりと川を下って行った















...fin

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