ブレッドとマドレーヌ 〜追憶 ブレッドの場合〜
「―――♪」
フルートの音色が聴こえる。
旋律にそって、歌声が流れていく。
満月を頭上に仰ぎ、幾千万の星に照らされて。
影の落ちる黒い世界に、淡く蒼い翼が映える。
「…もう、5年…かぁ」
「早いものだな」
5年。あの日、同じ学校の教師として再会した日。
女性が『おにいさん』を思い出してしまった日。
男性の夢がまたひとつ叶って、はじけて消えた日。
…女性の生徒が、臨海学校を迎える、2年前のこと。
「臨海学校があって、帰ってきて、何かと一緒にいるようになって」
「…」
「なんでだか羽なんて生えちゃって、…おにいさんは結局ここにいて」
指折り数えるピンクの服の女性を、黒いバンダナの男性は笑ってみているだけ。
「…5年って、短いようで長いわよね。…そう思うでしょ?」
「そうか?」
問いかけられると、男性は意外そうな顔をして聞き返す。
「俺にとって、この5年はあっという間だったぞ。
昔憧れた人が、今は隣にいてくれる。そのことでいっぱいいっぱいだ」
「ふふっ、嘘おっしゃい」
面白がるように、女性は男性の額を人差し指で軽く突付く。
「…心外だな。俺がこういうときに嘘を付くような人間だとでも思ったか」
「思ってますよー。私にだってへーきで嘘つくくせにー」
「…まあ、確かに半分は嘘だ。…嘘だが…人の顔を突付いて、あまつさえ押すな」
「うそつきー」
突付かれようと表情ひとつ変えない男性がツボにはまったらしく、指を彼の額に押し付けてぐりぐりする。
「…」
特にリアクションを返さないまま、男性はされるがままになっている。
きっかけは、なんだったか。額を指でぐりぐりされながら、男性は過去に思いを馳せる。
…そう、確か、彼女が父の墓の前で静かに佇んでいた。
まだ幼いころの男性と出くわして、言葉を交わした。
『…キミの、お父さんのお墓?』
『…ああ。…正確には、ご先祖の墓だけど』
『…そう、なんだ』
『…マドレーヌって、あなたのこと?』
『え』
『…やっぱり。父さんに聞いたんだ。ずっと昔、小さな女の子を拾ったって』
『!?』
『…戦争に駆り出されたきり、会ってないとも言ってたけど』
『…』
『…父上が、何か?』
『ぁ…ううん、なんでもないわ。…来年も、来ていいかな?』
『どうぞ。…一人くらい顔馴染みがいた方が、父上も喜ぶだろうし』
今も何か引っ掛かるが、ともかくあれが、俺と彼女が初めてあった日だった。
その後も彼女は毎年、わざわざ山に登ってきて、墓に花を手向けていく。
色々話しながら、段々と彼女に憧れるようになった。
…だが、そう。いつだったか、俺は父上の歩んだ道に疑問を持つようになる。
『傭兵』
俺の覚えている父上は、いたずらに力を振るうことを嫌った。
なのに何故、そういった力に頼らざるを得ない裏社会に踏み込んだのか。
実力には自信があった。…だから俺は、あえて同じ道を歩んだ。
父上の足跡を追うことで、父上が何を求めて傭兵の道を行ったのかを知るために。
そんな中で、生涯の親友たちと会い、弟子ともいえる連中と会い、
父上を知るものたちと接触した。時には、父上を目の敵にする奴らと戦った。
…俺が名前だけで恐れられるようになった頃、ふと思い当たる。要したのは、3年。
それは、実に単純明快で無意味。自分が力を持って生まれたことの意味を知ろうとしただけ。
ただ力を振るって、立ち塞がるもの全てを薙ぎ払って、それは罪だと悟っただけ。
…力という理不尽は、何の為なら許されるのか。
…否。
…何の為になら、力を振るうことの罪をも厭わないのか。
以来、俺は『裏』から足を洗い、しばらく家には戻らなかった。
…これから、何をするのか。そればかりを考えて、あの人の後ろ姿を思い出しながら。
「…何か言ってくれないとつまんないじゃんっ」
10秒ほど経ってもリアクションを返さない男性。…女性は痺れを切らしてぐりぐりするのをやめる。
「それは悪かったな。少々考え事をしていた」
むくれる女性を見て、男性は苦笑を漏らす。
「またノスタルジー?…おじいさんくさい」
「それを言ったら、おまえはおばあさんなんてものじゃないだろ?」
「だー、もー。それを言うかなぁ、それを〜」
女性はさらにふてくされるような素振りを見せるが、本気で気にしている様子はない。
男性もまたそれを笑い飛ばす辺り、互いに冗談のつもりなのだろう。
「冗談だ。永遠の24歳に、おばあさん呼ばわりは失礼だったな」
「わかればよろしい」
「…ありがとう、マドレーヌ」
「ほえ?」
唐突に名を呼ばれ、女性…マドレーヌは困惑顔で隣の男性の顔を見やる。
「…何言い出すのよ、ブレッド。いきなりありがとうなんて」
「いや…。おまえの存在の大きさを、改めて思い知っただけさ。
多分、あの日おまえと会っていなかったら、今ここに俺はいなかっただろうしな」
何でもないことのように、ブレッドは答える。満足げに微笑みながら。
「…。なら、私こそありがとうね、ブレッド」
「そっちこそ何を言い出す。いまさらありがとうなどと」
笑みを崩さず、ブレッドは言い返す。
「あなたがいなかったら、ずっと『おにいさん』の幻に惑わされてたと思うから。
…カスタードさんはもう、人としてはここにはいないって、教えてくれたのはブレッドでしょ?」
「…」
「…こうして並んで星空を見上げるのも、随分と久しぶりだな」
「10年近く前のことだもんね。…カスタードさんは、私を膝に乗せてたし」
「…膝の上、か…」
腑に落ちないような表情で、ブレッドは空から視線を外し、屋根の下を見下ろす。
「…おまえは…」
唐突に、ブレッドは口を開く。
「?」
「…いや、なんでもない。…忘れてくれ」
「…。変なブレッド」
何か迷いのような気配をブレッドから感じ、だがマドレーヌはあえて追求しない。
…おまえは、本当に父上の知り合いなのか?
聞いてはいけない気がして、寸前でブレッドは問いを飲み込む。
カスタード。…ブレッドが覚えているその名は、彼の父の名。
「…まさか、な」
「…ホントにどうしたの?今日はやけに独り言多いぞ?」
カスタード。…それは別の人物を、ずっと昔死んだはずの男をも指す名前。
だとしたら、父上は…
…そこまで考えて、やめた。
少なくとも、マドレーヌはそれだけ生きているのだ。
いくら彼女が『特別』だといえ、それだけの寿命を持つ者が他にいないとも、一概には言えない。
…自身もまた、成長が止まっている。
「…何でもないさ」
「…絶対なんかある。そんな顔してる」
じぃーっと、マドレーヌはブレッドと顔を突き合わせる。
「無いといったら無い。…もう降りるぞ、寝坊などできないからな」
…にらめっこには付き合わず、ブレッドはすぐに立ち上がった。
「あー、はぐらかすのはなしだぞーっ」
3階建ての建物の屋根から、ブレッドは無造作に飛び降りる。
すぐ後をマドレーヌも、翼の力でふわふわと降りてくる。
「…もう12時過ぎちゃってる」
「…つくづく早いものだな、時間が経つのは」
廊下に入って、小さな声で二言三言。
「…同じ部屋で寝ていい?」
「構わないが…どういう風の吹き回しだ?」
「別に?理由なんて無いわよ」
「そうか」
「…」
「…」
「…ドキドキする?」
「何に」
「何に、って…。同じ部屋にふたりっきりだしさ」
「ドキドキする理由も無いさ、今更。…だろう?」
「…まあ、そうなんだけどね」
「…」
「…」
「…ブレッド」
「…まだ何か…?」
「…」
「やーめた。…こんなこと言うの、柄でもないし」
「…何なんだ、いったい…?」
「なんでもないわ。 …おやすみ、ブレッド」
「ああ…おやすみ」
…今更、だもんね。『愛してる』なんて。
…fin?