漆黒の詩 -シッコクノウタ- 26
オリハルコンを、人形の胸元…ヒトの心臓があるあたりに軽く押し当てる。
すっと水面に沈んでいくように、それは人形の中へと消えていく。
わずかな魔力。
暖かな光。
そして…
「…。何を期待してたんだろうな、俺は」
一瞬、人形が起き上がった錯覚を見たガナッシュは、ふっと自嘲めいた笑みを漏らす。
…何も、起きなかった。
「君らしくない。…彼女は、空に還っていったんだよ」
後悔…いや、むしろある種の清々しさと穏やかさを含むフレークの声。
「…そう、だな」
それでも、動かない人形を抱いて、ガナッシュは立ち上がる。
「ティンブラ」
「え、あ、ちょっと?」
そしてそれを、半ば強引にティンブラに渡した。
「もう逃げることもないだろ?…俺たちがやるべきことは、全部終わったんだ」
「…」
いつになくまっすぐな、ガナッシュの視線。
…わかったよ。心の中でだけ呟いて、彼は人形を抱きなおした。
「…ただいま」
ヴァニラが代表して、建物にいるのだろうマドレーヌ達に声をかける。
「おかえりなさい。今ブレッドが紅茶を淹れてるわ」
「違うな。今淹れ終わったところだ」
「もー、何でそう揚げ足取るかなー」
優しい微笑みが台無しのむくれた表情。ブレッドはにやりと笑うだけで、テーブルにカップを並べていく。
…カップは全部で12。ブレッドとマドレーヌ、ヴァニラとティンブラ、フレーク達8人のぶん。
「…あれ?1人分少ないんじゃない?」
ティンブラが、そう言うと。
「気のせいだ」
あの時と同じ答えを。サブレが一緒に帰って来ることを見越していた時と同じ答えを、ブレッドは返した。
「…そう、かぁ。結局動かなかったんだ、ブレッドが造った人形」
マドレーヌは少しがっかりしたような声を出した。
「ティンブラは『コレでいいんだ』って、言ったけど」
「私も、どこかに不備があるとは思ってないわ。これがもしMDなら、必要なパーツは全て揃ってるもの」
フレークとブルーベリーが首を傾げる。
とうのティンブラは、ヴァニラに付き合わされてノエルとローレルの相手をしている。
結局は、終始ノエル達を遠ざけ気味だったが、
サブレの最期に立ち合わせ、この上重苦しい話を聞かせたくはなかった。
「…寝てるんだか、ただの人形なんだか、区別できないだけ…余計に後味悪いよ」
儚げな微笑を湛え、キャンディは人形の頬をそっと撫ぜる。
「…今頃、何処にいるのかな。サブレの魂」
シュガーもそっと呟き、キャンディの手の甲にそっと手を添えた。
…キャンディの手が震えていたのに、気付いたのだろう。
「ヴァニラさんは…今回のこと、どう思ってる?」
「…。そう、ね。…『夢』…かしら」
「…夢…」
「私たちは、サブレという夢を見た。…サブレは夢の中で、本当に存在していた。…ただそれだけで、それほどのこと」
「夢は、しょせん人の空想。だけど、だからこそ続きを見ることが出来るわ」
思ったとおりの、ハッピーエンドで終わる、夢物語を…ね。ヴァニラはオリーブに笑いかけた。
「…夜が、明けるな」
唐突に、ブレッドが口を開く。
東の空が、暁の輝きを宿し始める。
「長かった夢が…。ようやく、終わる」
先程のヴァニラの話を聞いていたらしく、どこか優しい響きを伴う声で呟いた。
「…!?」
「…み、みんなッ!来て、早く!!」
突然、シュガーとキャンディが声を上げた。
「…人形が…目を開けた!」
人形が、虚ろな瞳をまぶたから覗かせ、ゆっくりと上体を起こし、やがて立ち上がった。
…ワタシ、は…?
『ねえ、サブレ?サブレなの!?』
…サブレ? なんのこと…?
「返事して!サブレなの!?」
…ワタシ…? …ワタシが、サブレ…?
「まあ、待て。彼女がサブレだと決まったわけじゃない」
「コレは驚いた。どんな仕掛けをしたんだい、ブレッド?」
「こうなるように造ったというだけだ。他は何もしていない…と言いたいが、ひとつある」
仕掛け?造った?
「断言しよう。これから起こりうる可能性はふたつ。この人形が、サブレであるか、否か」
…ワタシは…『何』?
「この人形には、擬似人格とある言霊を、あらかじめ組み込んである。
もし、彼女がサブレならば。…いや、サブレがそこにいるなら、言霊によって彼女が生まれる。
いないのならば、そのまま擬似人格が目を覚ます」
「…『おはよう』」
…暁を映し出し、人形の瞳が煌めいた。
fin